「そこにある」という感覚

表面を整えるために内部の矛盾を許すべきなのか、内部の矛盾を許さないことで結果として表面に矛盾(これを矛盾というべきかどうかは置いておいて)が出ることを許すのと、どちらを選択するべきなのか。

美学の問題なのでどちらが正しいわけじゃない、と思う。一般的に、建築では表面の矛盾を整えていくことを選びとっている場合が多いと思うし、実際かなりの時間をその作業に当てているんじゃないかと思うときもある。

だけど、面一と見付寸法を優先した納まりを試みるたびに性能とコストについてとがめられる毎日を送っている中で、もちろんそのことが原因なのかどうかはわからないが、表面を無理やり整えることがすごくマッチョな美学に思えるようにさえなってきた。

そう思うようになって、オープンハウスなどで住宅を見るたびに感じる違和感が理解できた。華奢なディティールや面一にするための無理な納まりは「なぜここまでして面をそろえる必要があるのか」という疑問を感じさせた時点でその空間はフェイクになってしまうのだ。そうならないとしても、華奢なディティールを感じさせてしまうのは居る人を不安にさせるんじゃないだろうか。

今はまだどういうものかわからないけど、そこにしっかりものがある、という感覚をつくりたい。と思った。