あきのくだもの

solte2005-11-10

食欲の秋じゃやないんだろうけど、今年のドミールでは異常なほど果物を食べた。
毎日のようにぶどうや梨、イチジクや桃で冷蔵庫がいっぱいだった。

果物を食べていると、夏のあいだに溜めこんだからだの熱を取り除いてくれるような感覚が心地よいし、なにしろペットボトルのジュースを買うより安いってことが新鮮だったのだ。
ふた月くらいかけて腹いっぱい食べ、心と体が満たされ、空気がだいぶん冷たくなってきてからは不思議とくだものを食べたいと思わなくなった。

そして今度は無性に本が読みたい気分になって欲しかった本を買ったり、今まで買ったものの読まずに我慢していた本を本棚からとりだして通勤途中につまみ食いする毎日。

読書の秋と同時に芸術の秋というのも今の身体感覚とうまくなじんでいるようで、つくづく昔の人は季節による体の変化に敏感だったんだなと感心しつつ普段はあまり行かない六本木へ、あちこちで評判の杉本博司展を見に行ったりしていた。今まであまり興味はなかったけど、解説をビデオで聞いて見え方がまったく変わる。彼には神になりたいかのような、あるいは日本的とされている伝統や美学や神と自分を同一視しているかのような印象を受けた。とにかく、妄想を実現するための完成度への執念と、そこから達成される空間からは好き嫌いを超えられるだけの強さがある。特にシースケープの意味を知り、古代から変わらないものとひとりで対峙している感覚はこれは宗教だと思った。宗教って言うのは芸術と同じくらい気持ちがいいのだ。あまりにもすごいものを見せられ直島に貼ってあった同じものとは思えないほどの空間の経験。phloorさんもお勧めしている「苔のむすまで」も購入。

ダヴィンチ展は日本の悪しき展示産業の典型のようでかなり萎えた。

もいういっこのスポーツの秋に興じるほどには体力が回復していないようだったのでkincha主催のフットサルは見送ってしまったものの、相変わらずプールとマッサージは、お昼過ぎまでの睡眠の次に重要な僕の休養手段で、ただひとつ気になるのが千駄ヶ谷のプールの塩素が以前より濃くなったような気がしてならないけど、気のせいなのかどうなのか。

で、今日食堂で読んだ朝日新聞の夕刊の「じゃんけん」から東アジアの文化を語った本の話がとても面白かった。西洋や中東のような二項対立を基本とした文明にたいするオルタナティブとしてじゃんけんのように常に弱さと強さをあわせて循環する文明の可能性の話で、印象的だった。

それから、ずいぶん前に渋谷のパルコで偶然見て、その日はまだ予定があったので買わないでいたら、いつの間にか本屋さんからなくなっていた鈴木理策の「モン・サン・ヴィクトワール」を青山ブックセンターで見つけて購入。瀬戸内海の風土と通じるような植物や鉱物の質感とレイアウトがこれこそ今まで僕が意味もなく無駄に写真を撮っていた理由だと気づかせてくれるような視点で、もうこれがあれば写真を撮ったりここに文章を書いたり建築をやったりしなくてもいいんじゃないかと思ってしまうほど。


ここにはプリントも売ってるみたいで欲しい。8万円なり。
http://www.shelf.ne.jp/limited/limited%201.html

セップリンハルトの「拳の文化史」(の冒頭での指摘)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101114/qid=1131624610/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-2900150-9732303

韓国の学者で元文化相の李御寧の「ジャンケン文明論」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047021032/249-2900150-9732303