ポークランチョンミート

昨日は卓上お花見会@ドミール。
雨が降っていたので桜を買ってきてのお花見。
ドミールには10人以上集まっての大宴会、楽しかった。
ありきん夫妻の手料理もいつもどおりすばらしかったけど、
ししどのお好み焼きも逸品だった。
オランダから帰ってきたももちゃんのお菓子とお話しも楽しめたし、
なんだか混沌とした楽しさが空間としてよみがえってきます。


その集まりで、ポークランチョンミートをひさしぶりに食べました。
ランチョンミートは沖縄料理によく使われている豚肉の缶詰で、
見た目は、皮のない柔らかなソーセージのようで、
コーンビーフをつるんとさせてゼラチン質を多くした感じ。


「ランチョン」の意味が話題に出たので、気になって調べてみたら、
http://www1.linkclub.or.jp/~seagull/DATA/lunch.html
このサイトによると、アルファベットでは「Luncheon」と書き、
どうやら「Lunch」の古語のようです。
今でも雅な語感をつくりたいときに使われるそうだ。


ちなみに、ランチョンミートは沖縄やハワイでの消費量が多いらしい。
http://www.citynet.co.jp/shop/4110.html
それぞれ、アメリカ軍によってもたらされた歴史的経緯や、
温暖で海洋的な気候風土と島という立地環境、
基地とリゾートの島で本土とは異なる民族の土地であるとこと。
さらに、そのベースには豚食が一般的で普及するための基盤が整っていた。
などなど、おどろくほど共通点がある。


なかでも特に、豚食の習慣が普及のためのインフラとなったことに惹かれる。
日本の近代化が近世の封建制の発達がベースになっていたという説や、
封建制を経た西洋と日本が先に近代化を遂げたことにも通じるし、
身近な例でいえば、都市が過去の空間的意味的なストックを利用して変化していくことなんかを想像したくなる。


ここhttp://www.cybermetric.org/cad/
の議論でも日埜さんが的確に整理しているけど、
食や言葉の変化も同じように、やはり変化は突然ではなくそれまでのコンテクストの延長線上に発生していることが分かる。
一見突然と思われることも、脈絡もなく変化がやってくるとは考えにくいし、
ましてや、ある一人の天才のちからだけでは状況を打開できない。
そこにある天才を必要としている状況があって、
それとぴったりとリンクした天才が能力を発揮できる場を与えられるのだと思う。
さらにいえば、それは別に同時代的ではなくとも成立するだろうから、
「再発見」という言葉とともに歴史から召還されることも当然ある。
科学でいうパラダイムシフトもやっぱり決定的な変化のあった瞬間はスパッと切れているわけじゃなくて、そのはじまりは曖昧でずるずると連続しているような気がするし、やはり後になってあそこが転換点だったと振り返ることで発見するしかない。
そしてこそういったことは、歴史をクリエイティブに捉えなおすモチベーションにもなっていると思う。



話は変わるけど、ハワイと沖縄は、食文化の多様性や民族の混交の強さも共通している。
個人的な体験だけでも、ある地域の生活文化や民族の多様性は、その地域の自然環境の多様性の度合いと強い相関関係を持っていると感じることが多い。よく言われるベルクや和辻の風土論系の話しに回収されそうだけど、もう少しドライな意味で。
また、それは都市の違いにも少なからず影響を与えていそうだ。
もしかしたら、その地域の自然環境はそこで成立する文化の
大きなインフラとして捉えることができるんじゃないかとさえ思えてきた。
そのあたりに、感傷的に自然を考えるのとは別のスタンスがあるはずだ。