雪の大晦日

盆と正月は瀬戸内海沿いにある僕が育った両親の家で過ごす。ししどと前日に大阪から帰ってきたAJは既にいなくなっていて、kmは自分の部屋で年賀状を書いているようだった。晩御飯に間に合うように帰る約束をしていたんだけど、起きてから3年ぶりにちゃんとつくった年賀状の宛名を書くためにkmに共通の友人の住所を聞いたり、まに「結婚した友達へはパートナーの名前も書いた方がいいのか」と気にしない人にはどうでもいいだろうことを聞いたりしているうちに時間がたった。kmが支度がおわって「じゃあ」とドミールをでたのを聞いて、まも4時に出るからとせかされながら最後に鍵を閉めるのがいやだったので僕もあわてて支度をした。


一緒にドミールを出てからハガキをポストに入れている間にまは道路の反対側へ渡っていて、まがぽつんと雪の中にたっているのを眺めながら一人で信号を待っている時に携帯を忘れてきたことに気がついたので、まに大声で伝えてから大急ぎで取りに帰った。既に凍結し始めている雪の道を滑りながら、まが今年亡くなった友人のためにお供え用の花を買うといっていたフラワーショップで追いついた。すこし前までクリスマス一色だった店内は正月用のものに変わっていて、いくつかの白い花で2つの花束を二人のお姉さんが銀色の亜鉛めっきの大きなカウンターの上でつくってくれていた。店を出るとさっきまで青白かった空からは日はほとんど沈んでいて、入り口に置かれている二つの蝋燭の薄い金色の炎が白い雪にほのかに反射してきれいだった。まはお花を作ってくれていた二人の店員のどっちが上手だったかを話し始めて、僕も左側の人のほうが上手だと思ったことを伝えた。


東京駅では新幹線切符売り場の前は例年にはない行列ができていた。ふだん通ることのない場所まで行って加わり並んでいるときに、ニューヨークのビルの谷間を撮った広告写真の道路を埋めている自動車のほとんどが黄色になっていてるのを眺めていると、道路の上を常にタクシーの群れが移動し続けているマンハッタンの貪欲な煌きと業の深さのようなものを感じて不思議な気分になった。


切符売り場の行列からは想像できないほど新幹線の中は空いていて、あっさりと席を見つけることができたのに拍子抜けしながら、読みかけのパリの街づくりを詳細に描いた本を読みながら出発を待った。19世紀のオスマンによる都市計画で基本的な構造が出来上がって以降ほとんど変化していないと思っていたパリの街が、実は20世紀後半から日本の2項道路や開発優先のボリューム規制による弊害と似たような問題が出始め、生活の場としての都市が荒廃しつつあった時期を経験していた。それに対処するために、それまでの地域事情を考慮しない国家による建築規制をより肌理細やかで臨機応変な地域独自のものへと変えていくことでいきいきとした街として甦らせることに成功させた、デベの経済優先の論理にただでは屈しない、著者が「狡猾」と表現する地域行政のしたたかな姿や、日本では政治上のファンタジーとなってしまっている「自治」という言葉がリアルでいる都市を羨望と希望の入り混じった感情といっしょに眺めていた。


ターミナルから電車を乗りかえて、雪の影響で遅れた他の乗客を待っている特急列車を待って発車した列車で駅に着いた。降りてみると東京より早い時間に降っていたらしい雪はもう跡形もなくなっていた。おそくなってすこし帰りにくいなと思っていたけど、僕が遅れてお酒を飲んでしまい迎えにこれなくなったと伝えられたおかげでかえってほっとした気分になり、いつもは乗らないタクシーに乗り家へ向かった。一番怒っているだろうと思っていた父親の思いがけない歓迎の声へ感謝しながら暖かい気持ちで席に座った。みんなにお詫びを言った後飲んだいつもと同じビールは、雪のせいかいつもよりすこしだけクリアな透明感があるように思えた。