余韻をつなぐ

プラタナスの広場

日曜日に公園へ行った。
偶然立ち寄ったら思いのほかいい公園だった。
猿江恩賜公園といい、江東区の運河に囲まれた平坦な土地にある。
こういう大きな公園は何かの跡地であることが多いけど、
ここももともとは貯木場だったようだ。


日比谷公園のように、様々な機能に分けられた公園の集合のようになっている博覧会タイプ(C)solte の公園で、
ヤシを植えて貯木場的なコンテクストを無理やり南国風に変えた噴水広場、
たぶんフランス風のプラタナスのある石畳の小広場、
イギリス風の芝生広場、
道の向こうにUFOの様に浮いて見える接地した丸いトイレ、
常緑のかたい木立の中のバスケットコートのあるドライな広場と
その一角に植えられたユリノキとベンチ、
という具合にならんでいる。


重要なのはプラタナスの広場だと思った。
ヨコ20メートル タテ60メートルくらいのこのスペースが、全体をつなげている。


たまたま歩いた北側ブロックの南側がそうだったのかもしれないけど、
広さやレベル、舗装や植物など、異なる幾つものスペースが緩やかに連続していて、
一つ一つの場所はごく標準的な公園のボキャブラリーでありながら、それぞれのつながり具合が絶妙だった。
こういうタイプの公園は、別々の場所が連続するときに大味になってしまったり、まったく無関係になってしまってることがよくあるが、
ここでは、それらが移り変わるときの違和感がまったくない。
むしろ、さっきまでいた場所の余韻と次の場所の印象が微妙にオーバーラップする感じ。


部分部分はそれぞれベタに完結しているようで、中を歩き回った後に残るものは心地よい全体になっている。
気持ちのいい映画を見終わったときの気分に近い。
ごく一般的な形式を求められているなかで動かせるわずかな部分に可能性を感じた。
映画の技法については詳しくないけど、いい公園はこういうものだと思った。