社会に生かされている感覚

最近ありさんと飲むといつもこの話になる。
個人の政治的態度が社会にどう反映さるか、あるいは反映される可能性に希望を持てるかという感覚の違いについて。

おんなじ意見に落ち着くことはないとわかっていても、つい話しはじめると意見の一致点を探し始めてしまってしゃべりすぎてしまう。ありさんは世代の(といってもほんの数年なんだけど)違いというが、そうなんだろうか。バブルの終焉を目の当たりにした世代と、終わってしまった後に気がついた世代との間には、終戦に立ち会った人と以後に生まれた人のような違いがあるのか、さらにそれが政治的態度と結びつくのかどうかはもう少し考えたい。

あるいは、バブル後の世代のようにいわれた僕らがボジティブに見えるのは、単にまだ若いからというだけなのかもしれないけど、とも思った。