阪急梅田駅

谷中M類さんのところを開いてみると、とうとう阪急梅田ビル(@建築マップ)が解体されはじめてしまったみたいだ。

大阪は、環状線と、それをわずかに越境して私鉄のターミナルが都市の核へ接続する構造や中之島と大通り、臨海部の古い工場群、そして国土コピペ省さんのところでも指摘されてるように、ある意味都市の副産物といえる明確な下層社会の存在と、その鏡像でもある大規模ニュータウンが誕生する以前の郊外住宅地の形式が生まれた阪神間の住宅地など本格的な(古典的な)都市といえる文化と空間が成立した、日本で始めての場所だったんじゃなんじゃないだろうか。

東京オリンピックまでは日本で最も栄えていた都市であったその大阪で、当時の雰囲気や文化が現在でも感じられる場所として、おそらく南海の難波ターミナルや、その難波と梅田を結ぶ地下鉄御堂筋線と並び大阪を代表する建築といえるのが阪急梅田ビルだと思う。東京オリンピック以後の都市開発ではこのような華麗な建築空間が生まれ得なかったことを考えると、日本の都市形成史の中でも西洋的な都市への憧れや、終戦により一度はリセットされる以前のはっきりとした階層社会の存在を前提とした都市中間層を満たすために生まれたともいえる都市の形成パターンの象徴的な存在だと思っていた。

他にも規模は小さいけど大阪ではダイビルや東京の三信ビル、横浜の北仲など、今、各所で話題に上がっているものをあげるだけでもきりがない。建築に限らず、その時代その場所でしか生まれない空間が壊され、それを味わう権利がこうも簡単に奪われてしまうことが、自分の生活している社会の意志なのだとすると残念だ。せめてあのホームからコンコースへ至り街へ連続する低層部のダイナミックで華やかな阪急的な空間だけでも残しながら再開発する方法がありえなかったんだろうか。